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大阪地方裁判所 平成6年(わ)3058号 判決

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、土木作業員をしていたものであり、平成六年九月一〇日午後一一時ころ知り合いの甲野太郎(以下「甲野」という。)方を訪ね、翌一一日午前一時ころ、甲野方で出会ったかつての仕事仲間である乙山次郎(当時四七歳。以下「乙山」という。)と甲野を誘い、大阪府摂津市内のスナックへ飲みに行った。その後、被告人らは、同日午前三時すぎころ、タクシーで帰ることになったが、被告人において、酔余暴れるなどしてタクシーに乗ろうとせず、甲野から注意を受けてようやくタクシーの助手席に乗車したものの、その後も、後部座席に乗車していた乙山から「わしらまで迷惑被っとるやないかい。もっとおとなしい帰ったらええやないかい。」と注意されたりしたことに憤激し、同人に殴りかかるなどしたが、仲裁に入った甲野に制止され、乙山も甲野の忠告を受け、その場は一旦謝って済ませた。しかしながら、被告人がなおも乙山に殴りかかる等したため、思うように運転ができず、危険を感じた運転手が、同府吹田市岸部南一丁目一九番先路上でタクシーを停車させたが、その際、被告人が降車してタクシーの後部座席の窓ガラスを叩いたりした。そのため、甲野もタクシーを降り、被告人の態度を叱ったところ、被告人は甲野には謝罪したものの、乙山に対しては「とことんやる。」等と言ったりしたことから、これ以上付き合えないと思った甲野は、「おれ後は知らんぞ。」と言って乙山をタクシーから降ろし、そのまま被告人と乙山を残してタクシーで帰宅した。かくして、被告人は、タクシーから降りた乙山と二人で同所先路上に残されたが、なおも乙山の態度に憤激し、同日午前三時五〇分ころ、同所において、乙山に対し、胸ぐらをつかんだ上、足払いをして同人を仰向けに転倒させ、その腹部を右足で三、四回強く踏みつけるなどの暴行を加え、よって、同人に外傷性小腸穿孔等の傷害を負わせ、同月一三日午前八時二分ころ、同府摂津市南千里丘一番三二号摂津医誠会病院において、右傷害に基因する汎発性腹膜炎により同人を死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、乙山が死亡したのは、その治療にあたった医師Aが、被害者の腹腔内に液体貯留のあることを認識していたのに、開腹手術に着手しうる体制を整えず、また、頻回に理学的所見を観察することもせず、被害者を放置し続けるという過失を犯したことによるものであるから、被告人の暴行と被害者の死亡との間には因果関係がない旨主張するので、この点につき判断する。

前掲の関係各証拠によれば、

1  被告人は、平成六年九月一一日午前三時五〇分ころ、乙山に対し、腹部を右足で三、四回強く踏みつけ、乙山に外傷性小腸穿孔の傷害を負わせたこと

2  乙山は、同日午前四時三五分ころ、被告人の右暴行による受傷のため大阪府摂津市内の摂津医誠会病院に救急搬送され、当直の福島医師の措置を受けたが、うわごとのようなことを言い、同日午前七時ころには腹部全般に圧痛が認められたこと

3  A医師は、同日午前九時ころ、日曜日の院内当直医として乙山の治療を担当することになり、その際、乙山が飲酒の上喧嘩をして腹部を殴打されて入院しているとの引継ぎを受けて乙山を診察したが、乙山はA医師の問診等にも応答しないといった非協力的な態度をとっていたこと

4  A医師は、同日午前一一時ころ、乙山が腹痛を訴えているとの報告を受けて触診したが、その際乙山は、腹部全体の痛みを訴えるもののA医師の手を払いのけ、体の向きを変えるなど非協力的な態度をとったため、症状の詳細を知ることができなかったことから、A医師は、乙山に鎮静剤を投与して眠らせた上、同日午後零時三〇分ころ、乙山の腹部をコンピューター断層撮影装置で撮影したこと(以下、「CT撮影」という。)

5  A医師は、前記CT撮影の結果、脾臓の周りに液体貯留を認め、右液体が腹水または出血した血液ではないかと考えて脾臓破裂の疑いを持ち、看護婦に対し、翌日の腹部CT撮影及び血液検査などを指示したこと

6  乙山は、その後も引き続き腹痛を訴えており、当初自制可能であった腹痛も同日午後七時ころには自制不可能になる等次第に悪化するとともに、腹部膨満の症状も顕著になり、それと同時にのどの渇きを繰り返し訴えたが(A医師も回診時に乙山から口渇感を訴えられた)、A医師が乙山を担当していた翌一二日午前九時ころまでは、その都度鎮痛剤を投与されたり水分を与えられるのみであったこと

7  A医師が乙山を担当していた約二四時間の間、乙山を自ら診察したのは三、四回でしかなかったこと

8  B医師は、同一二日午前一一時三〇分ころ、看護婦から重症の患者がいるので診察してもらいたいと依頼を受けて乙山の腹部を触診したところ、腹壁板状硬が認められたことから急性腹症で緊急手術の必要があると判断し、C外科部長に連絡するとともに、その際、同日午前一〇時三〇分ころ撮影されたCTの影像を見たところ、右影像によって腹腔内に大量の液体貯留が確認されたこと

9  B医師から連絡を受けて乙山を診察したC医師も、乙山が強度の腹痛のため座位しかとれない状態で、腹部に筋性防御及び反跳痛などが認められたことから、急性腹症のため開腹手術が必要であると判断し、同日午後四時ころから手術を実施したところ、乙山の腹部には大量の膿汁腹水が貯留しており、これを吸引するとともに、その原因となっていた小腸の穿孔を発見、縫合して閉腹したが、乙山は、翌一三日午前八時二分ころ、同病院において、外傷性小腸穿孔に基因する汎発性腹膜炎により死亡するに至ったこと

などの各事実が認められる。

また、証人C、同D、及び同Eの公判廷における各供述等からすると、患者が腹部外傷を受けかつ、その腹腔内に液体貯留が認められる場合には、実質臓器による腹腔内出血、または、消化管穿孔による消化液の腹腔内貯留が考えられること、いずれの場合であっても腹膜炎を含む重篤な結果を招来するおそれがあり、開腹手術を実施する必要性の生ずる可能性があることから、レントゲン写真、CT撮影等で腹部の状態を検査し、あるいは、約二時間毎に触診、問診を実施して、腹部膨満の程度、腹痛の程度等を把握する必要があること、腹膜炎の場合、患者は激しい腹痛とともに脱水症状を伴い口渇感を覚え、腹部には筋性防禦が生ずることから触診等で比較的容易に診断できる状況にあることが、それぞれ認められる。

以上を総合すると、乙山が腹痛と口渇感を訴えていることを知り、しかも、その腹部に液体貯留を認めていたA医師としては、少なくとも、乙山の身体の状態の経過を注意深く観察すべきであったといえ、乙山自身が拒否する態度を示していたという事情があったものの、乙山の腹部の触診を頻回に試み、また、乙山の腹痛が激しくなった時点で外科医に連絡する等の措置をとることが望ましかったと考えられ、その意味でA医師の一連の措置は、医師として適切さを欠く点のみられるものであったとのそしりを免れ難いところである。

しかしながら、医師E作成による死体検案書をも含む前掲の関係各証拠によれば、被告人の判示暴行により、乙山の小腸に穿孔が生じ、右穿孔から消化液が腹腔内に流出、貯留して、汎発性腹膜炎が発症し、前記説示のとおり、急速に症状が悪化した結果、被告人の暴行による受傷後わずか五三時間余りで乙山が死亡するに至ったことが明らかであり、このことに照らせば、被告人の暴行によって生じた傷害自体が乙山の死亡という結果を惹起する程度の危険性を具有していたものであることも明らかであるから、A医師の措置に適切さを欠く点がみられ、乙山自身の医師に対する態度にも非協力的な点があり、それらもまた乙山の死亡という結果の発生を促進し、あるいはその一因をなす点があったとしても、被告人の暴行による傷害と乙山の死亡との間には刑法上の因果関係のあることが肯認されるといわなければならない。

弁護人の主張は採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は平成七年法律第九一号による改正前の刑法二〇五条一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、飲酒等のため気が大きくなった被告人が、被害者等を誘って行きつけのスナックに出かけ、その後タクシーで帰る際に、酔余暴れてタクシーにもなかなか乗車しなかったため、被害者から注意されたりしたことに憤慨し、同人の腹部を踏みつける等の暴行を加えて同人を死亡するに至らせたという事案である。被害者は、被告人の酒癖の悪さを注意したものであって、同人に格別の落ち度があったとは認められない。これに対し、被告人は被害者から注意されるや、いきなりタクシーの助手席から身を乗り出して、後部座席に座っていた同人に手拳で殴りかかり、さらには、甲野の仲裁によって被害者が謝ったにもかかわらず、なおも暴行を続け、タクシーから降りた後も、同人を路上に転倒させた上、同人の腹部を強く踏みつける等したものであり、犯行の態様が執拗かつ悪質であるのみならず、その結果も同人の死亡という重大なものである。被害者は、被告人の暴行により、腹痛等に苦しみながら未だ四七歳という一命を失ったものであり、その無念さはもとより、遺族の悲嘆の心情にも察するに余りあるものがあるが、被告人は何らの慰謝の措置も講じていない。これらの事情を考慮すると、被告人の刑事責任には重いものがあるといわざるをえない。

したがって、被害者が医師の診察に協力せず、医師の措置にも適切さを欠く点がみられたこと、その他被告人には罰金刑に処せられた前科が一犯あるのみであること、本件により、自己の酒癖の悪さを自覚し、公判廷においても今後の禁酒を誓うなど、反省の態度が見られること等、被告人のために斟酌しうる諸事情を十分に考慮したとしても、被告人に対しては主文掲記の刑をもって処断するのが相当であると思料される。

よって、主文のとおり判決する(求刑、懲役五年)

(裁判長裁判官 栗原宏武 裁判官 福吉貞人 裁判官 高山崇彦)

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